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和歌山県伊都郡九度山慈尊院832 TEL:073-654-2214  

慈尊院の歴史

慈尊院について

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慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。

<慈尊院の由来>
大師の御母公(玉依御前 : たまよりごぜん)が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念から、ご高齢にも関わらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。承知二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母君公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、これより表向きに「慈尊院」と呼ばれるようになりました。

<信仰>
弘法大師御母公との結縁寺として知られるようになった慈尊院では、大師の御母公(玉依御前)の化身とされる弥勒菩薩さまへ「子宝、安産、育児、授乳、病気平癒」を願って、「乳房型絵馬」をご奉納して祈願するという日本全国でも珍しいお寺。女人高野と称される当院にはそのご利益を願って多くの女性により信仰を集めています。その他、慈尊院では各御祈願・ご供養も行っております。詳細内容はこちら

<建造物に関し>
● 文明六年(1474)
    ご廟を現在の場所に移されました。

● 天文九年(1540)
    紀ノ川の氾濫により慈氏寺諸堂の大半は流れ、残った堂塔を弥勒檀に縮小移転し、
    天文十年三月、落慶供養をされたが、高野山も政所の事務を山上に移し、宝蔵の什宝を
    すっかり山上に運び上げてしまいました。

● 天文十三年(1544)、七月
    再度、紀ノ川に大水が出て、残っていた旧慈氏寺は、みな流され紀ノ川床となって
    しまいました。