香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。
御母公が、ご本尊弥勒菩薩を崇拝されておられたので、入寂の砌、ご本尊に化身されたという信仰となり、女人の高野参りは当院までということも相俟って子宝、安産、育児、授乳等を願って乳房型絵馬を奉納して祈願したり、髪の毛をお供して病気平癒を祈りました。これが「女人高野」と言われる由縁となりました。
以来、近郷近在の老人は、ご母公ほどの長生きをしたいと五日(承和二年二月五日にお亡くなりになられた事から)にお参りし、長生きしても若者や周りに迷惑かけず極楽往生できるようにと祈願されました。また、智恵・学力の「弁財天」、財宝の「稲荷明神」、子育ての神の「カルテンさん」や、痛む箇所を手でさする「ビンズリさん」、弘法大師が本尊で四国八十八ヶ所のご本尊を脇に祀る「四国堂(大師堂)」があり、女の人が慈尊院にお参りすれば、すべての願いが叶うようにお祀りしています。